族長の真実(捏造)
「コハクや、本当に準備は良いのだな?」
普段の柔和な笑顔からは想像もつかない、石器のような硬く鋭い問いがコハク──私に刺さる。
私達が二人でやってきたのは、森の中にぽっかりと開いた日当たりの良い場所。かつて村の家々を作るため、木を伐採した跡地だ。
「無論です。この日のため、私は稽古を積んできたのですから」
「うむ……。天稟があるとは思うておった。が、その若さで『継承の試練』を受けるまでになるとは」
「私の才覚かは、今この場で分かることです。モリ爺、あなたを倒すことで」
「だの」
継承の試練。ゴシン術を完璧に修めた者が、その師と決闘してさらなる強さを得るための儀式。無用な私闘を防ぐため、ごく一部の優れた使い手にしか存在は明かされていない。
私はこれから、師であるモリ爺と果たし合いをする。
「……師匠を超えた瞬間を、儂は今でも夢に見る」
いよいよもって緊張してきた私をよそに、モリ爺は決意を固めるように目を閉じた。
仕合前に話し過ぎるのも良くないが、他ならぬモリ爺が振ってきた話題だ。それに、気にならないと言えば嘘になる。
私はモリ爺を降した後、どんな顔をするんだろうか。
「どのような、気持ちなのです?」
「この上ない快感じゃったよ。もうデカい顔はさせんぞ、ざまあ見ろと思ったのは覚えておる」
「随分と、仲が悪かったようで……」
「昔の話だからのぉ。お主とのように穏当な関係でなかったことは確かじゃが」
答えたくない質問に、モリ爺は決まってこの誤魔化しをする。
「まっお主は儂にそんなこと思わんのじゃろうけど」
「もちろんです。仮に私が勝ったとして、モリ爺が私を育ててくれたことは変わりません」
「仮に、では困るの。必ず勝つつもりで挑むように」
「っ……はい」
そうだ。
モリ爺に継承の試練について聞かされた時、挑むと言ったのは私だ。強くなるためにゴシン術に打ち込んだ。
そして今、さらなる高みを踏むためにモリ爺を倒す。
「師よ、お覚悟を」
「ん、良い目つきになったの。強さへの欲が滲んでおる」
互いに左半身で、やや前傾の構えを取る。
手の握りは至って緩く、戦況に応じて拳にも、剣にも斧にもする。
「決着は?」
「儂はお主がやめてと言ってもやめんぞ?」
「……上等。行きます!」
左膝の力をあえて抜き、重力に身を任せる。人体で最重量の頭部を投げ出しつつ、右足で地面を蹴りつける。
「疾っ!」
雷迅。脱力によって重力を利用し、下方向に急加速。そのスピードを疾歩による無駄のない踏み切りで前方へと変換する。
力を抜くだけだから予備動作もない、真正面からの完全なる奇襲。立ち遅れたか避ける素振りすらないモリ爺目掛け、私は右の手刀を振り上げる。
狙いは右の脇腹。的が大きいうえ、肋骨を折れば痛みで戦闘に支障が出る。
「流石に若いの……素直で良かった」
「っ……!」
手応えは、あまりに固い。
モリ爺の肘が、私の手首にめり込んでいた。繊細な手首の骨が悲鳴を上げ、身が竦みそうになる。しかし折れてはいない。
「たぁっ!」
無理やり右拳を握って今度は裏拳。体ごとねじ込んだ一撃は、いくらモリ爺でも防ぎきれない。大きく後退させることに成功した。
「天性のバネ、磨いたゴシン術、そして内に秘めた闘争心。本当に、お主は儂の誇りじゃよ。コハク」
仕合の最中、唐突に私を褒めそやすモリ爺。訝し気に見つめると、彼はクックと笑った。
「何。言いたいことは言っておかんとの」
そう言って、その場でトントンとジャンプするモリ爺。先ほどとは別人の軽やかな動きに、私は彼の目的を察した。
「……鍼療の型。今の話は時間稼ぎですか?」
「人聞きの悪いこと言わんでくれ。本音じゃ。それはそれとして、久々に使うと気持ち良いのうこれ」
自らの経天を突いて体内の気を循環させ、身体能力を大幅に上げるのが鍼療の型。
笑顔だけは人懐っこいが、今のモリ爺の戦闘能力は凶悪なモンスターと変わりない。
「褒めるなら、私が勝ってからに」
再び私から仕掛ける。
安住の地を探し求める日々を送っていたモリ爺の戦闘経験値は、私の比ではない。
狙う場所は考えるだけ無駄。とにかく今、自分にできる最速で動き続ける。
真正面からだけでなく左右へ揺さぶり、打撃を迎撃させての極め技を狙う。モリ爺の腕を両腕で抱えるようにして伸ばし、下から膝で打ちぬいた。
が、
「硬い……!」
「狙いは良し。が、パワー不足じゃな!」
その関節は、最早生物とは思えない頑強さで私の膝を拒んだ。痛みもないのか、モリ爺は右腕で私を振り払う。
「まだですっ!!」
「本当に、素直な子じゃ……ほれっ」
突き出した拳を引っ叩かれ、大きく姿勢を崩された。容赦なく降ってきた追撃の踵が首筋にヒット、一瞬視界が暗くなる。
「ガ、ぁぁあっ!」
歯を食いしばってモリ爺の足に縋りつき、噛みつく。最早ゴシン術も何もないが、とにかく負けたくない。
モリ爺の打撃が雨あられと打ち込まれる。穴が開いたかと思うほどの衝撃と痛みが体を深々と走り抜け、私は遂に手を離した。
「全く……」
スネの辺りを払いながら、モリ爺は呆れたように私を見下ろす。が、その目はまだ勝利を確信していない。
「……流石はモリ爺。効きました、『体の隅々まで』」
それはそうだろう。他ならぬ私が、コハクはまだ戦えるのだから。
「こりゃやられたの。まさか、儂の攻撃を鍼療の型代わりに使うとは」
悪あがきに見えた縋りつきは、モリ爺の正確な打撃で経天を突かせるため。文字通りの荒療治だ。
全身をくまなく気が巡り、ともすれば湯気が出そうなほど熱い。身体能力に関しては私が完全に上を行っている。
「さあ、続けましょう」
引きつる口角を無理矢理上げる。極限まで活性化した気のおかげで動けこそするが、打撃のダメージ自体は消えていない。
全身全霊の速攻で、ケリをつける。
「せぁあ!」
自身最速の雷迅から、喉元に貫手。常人には影すら追えぬ神速だが、モリ爺はこれにも反応する。
固められた拳にぶち当たった爪が割れたが、痛みと共に何かを凹ませた感触が伝わる。今度はあちらも無傷では済まなかったらしい。
「(私の拳は、通用してる!)」
右の正拳同士で、足刀と腕刀で潰し合いながら。私は優勢を確かなものにしていく。
「くっ……ぉお!」
次第にモリ爺の動きが鈍く、硬くなっていく。鍼療の型によるブーストは一時的な物、限界を超えて体を駆動させれば当然反動も喰らうことになる。
いかにモリ爺が強かろうと、体力には限界がある。
「もらった──ッ!!」
彼の足がもつれ、ふらついたところに渾身の掌底で胸骨を打ち抜いた。声もなく吹き飛んだモリ爺は、私が残心を解いても起き上がることはなかった。
これにて決着。大量の経験値が私に流れ込み、一挙にLvが150まで上がる。しかし、私の心にあるのは爽快感や達成感などではなかった。
はっきり言って、勝てるとは思っていなかった。自らの強さがどれほどか腕試しの側面も大きかった。
それで、里からモリ爺を奪ってしまった……。
「……モリ爺」
「何じゃいコハク」
「うわぁ!?」
「話しかけておいて驚かんでくれ」
「無事、だったのですね」
「うむ……命に別状はなさそうだの。今のところは」
モリ爺に駆け寄ると、彼は倒れたままいつもの柔らかい笑顔で応えてくれた。
「じゃが……もう重労働は難しいかの」
「……」
そういう彼の体は、汗や陽の光では説明できない輝きを放っていた。鉱石化である。今のところは命に別状はないというのも、そういうことだ。
「儂は負けたし、引退する。これから先は、お主が族長として皆を守り、導いてやりなさい」
「申し訳ありません。私のワガママで、寿命を……」
「ワガママなものか。それに、そろそろとは思っておったんじゃよ。継承者がお主で、儂は嬉しいよ」
「っ! ありがとう、ございます……!」
その後村に戻った私は、皆の前でモリ爺から正式に族長の座を引き継いだ。継承の試練を秘匿するため、モリ爺の負傷は山で獣に襲われたことにした。
モリ爺は引退後も皆の良き相談役として皆に頼りにされ、慕われたまま逝った。私が彼に重傷を負わせてその力を継承したことは、この世で私しか知らない。
これを知ったら、皆は私のことをどう思うだろうか。そのことを考えると、自らがクオンツの族長だと胸を張ることなどできなかった。
せめて、この里が侵略される危機に陥った時。この有り余る力で皆を守って死のう。それが私にできる、モリ爺と皆へ精一杯の贖罪だから。